【セレンディピティ】試練や崖っぷちを幸運に変える3つのこと
この記事は、次のような人におすすめです。
いつも思い通りにいかない
いつも似た問題を繰り返す
悩みが尽きず前に進めない
今まさに崖っぷちで八方塞がりに陥っている
早急に解決したいことがある
人間関係、仕事、お金の問題が尽きない
我々の行動には全て結果が伴うが、利口な正しい行動が必ずしも好ましい結果をもたらすとは限らないし、その逆の行動が必ずしも悪い結果を生むわけでもないので、むしろしばしば丸切り正反対の結果となることさえあるね。
(ゲーテとの対話より)
一見、関係ありそうにないことが実はつながっている。
人生は、何かの原因である結果が現実となり、その結果が次の原因となって違う結果が現実となり、その結果がまた次の原因となって別の結果に・・・を繰り返す。
こうして、今の現実は、過去から続く結果にすぎません。
その結果が最初の原因に紐づいていると気づける人も多くありません。
人生経験が長いほど、何が自分をそうさせているのかに気づきにくいのです。
でも、それは「こうしたらこうなる」という原理原則が働いているだけ。
高血圧も心不全も、今に始まったことではない、それと同じです。
兆候が見えるずっと前に火種はあるのです。
いわば、自然の原理です。
親が誰かを恨んでいる→子供がいじめに遭う→引きこもり、等。
親が優等生→本当は弾けたかった→子供が問題を繰り返す、等。
例えばこういった「鏡の法則(法教)」の原理原則が連鎖する構造を「システム」と呼びます。
問題が刻々と変化して複雑な時は、単純な解決策が役に立たないばかりでなく、むしろ逆効果だということが、システム思考によって明確に理解できます。
ですので、物事を「どうしたらそうなるのか」で捉えることが、自分のキャリアや人生を考え決定していくために極めて有効です。
「どうしたらそうなるのか」をシステムといい、その考え方をシステム思考といいます。
特に、試練や逆境、崖っぷち、絶体絶命、後がない時ほど、システム思考によって本当に求めるものを明確にすると、奇跡は意図的に起こせます。
ロッキーは映画の中でこう言いました。
ボクシングは90%が頭、体で戦うのは残りの10%だけだ。
セレンディピティを狙って起こすには?
その奇跡を私たちは、セレンディピティと呼びます。
セレンディピティとは、不測の事態で積極的判断がもたらす思いがけない幸運のことをいいます。
セレンディピティを起こすために必要な3つは、行動、気づき、受容。
では、どうやればいいのかを1つずつお伝えしていきます。
1)行動する
まずやってみるというのは、まず試してみるということなので、言ってみれば「実験精神」が大切ということに尽きます。
結果は、実際にやってみないとわからないことが多いものです。
やっていくうちに新たな発見に出会い、知恵が生まれます。
知恵とは、「ということは、こういうことか!」と、自分の本当に求めるものがわかるということです。
感情面では「ハッとする」とか、我に返ることがどういうことか実感できます。
たとえば、片思いの人に告白して振られたとします。
この場合、「振られたということは、自分の本当に求めているものじゃないから振られたということか!」に気づきます。
その気づきこそを「知恵」と呼びます。
極端ですけど、たとえば、メジャーの大谷選手に告白して振られたとします。
(極端すぎ?(笑))
自分が好きな人に本当に求めていたものが、腕枕をしてくれることなら、大谷選手はそれができないかもしれません。
その理由をある野球選手の奥さんがこう証言されています。
手や腕は仕事道具であり、腕枕は負荷が大きいからしてもらえなかった。
試合前日に排卵日だったとしても、夫婦生活は禁止だった。
休みの日も、デートよりトレーニングを優先するのであれば、付き合っても寂しい思いをするのは自分ですね。
であれば、相手がしたくないことを自分が求めているのであれば、振られたほうが自分のためです。
こうして、自分が本当に求めているものがそれであるかどうかは、やってみないとわからないのです。
2)気づく
一見、ネガティブな結果に見えるものこそ、本当に求めていたものに気づかせてくれます。
意識では、かっこいい、イケメン、高収入を求めていても、本当に求めているものは腕枕をしてくれることだった、とか。
意識では、売上、集客、業績を求めていても赤字が続くなら、本当に求めているものは、顧客に必要とされる自分だった、とか。
であれば、数字を追いかけるより、顧客が求めるものを追いかけたほうが数字は上がるのは自明ですね。
こうして、気づくということは、「わかる」ということなのです。
わかるからこそ、知恵がついたと言えるのです。
知っていることも、わかってはじめて血肉になるわけです。
見える物質的なものを目的にしていれば、このことに気づけないままです。
「本当は何を求めているのか?」に気づくことができれば、偶然の出来事が幸運に作用するセレンディピティも必然的に起こってきます。
セレンディピティは、後天的に身につけられる普遍的思考能力で、行動することでしか起こせません。
運気がいいと言われても、待っているだけでいいことは起こらないのです。
セレンディピティは、自動車の運転と同じで、やればやるほど自然に身についていきます。
行動しない人にセレンディピティは起こりません。
3)受容する
じゃ、行動して気づくために、何が必要かというと、それが「現実をまんま受け入れる」ということです。
現実をまんま受け入れることを「受容する」といいます。
どんな現実も自分が選んだ結果だと認めることです。
望むことが現実になっていない時は、「望んでいないことを望んでいる」ということです。
例えば、必死で営業しても契約が取れなかったら、契約できないことを望んでいるということです。
契約したくないめんどくさい相手に商談をしているのか?
契約してもうまくいく自信がないと思っているのか?
ややこしい案件だから断ってほしいと思っているのか?
自分ならこの商品は買わないと思っているのか?
社長が嫌いだから売上に貢献したくないと思っているのか?
理由はいろいろあるでしょうけど、いずれにせよ、契約できないことを望んでいるからまとまらない現実が起きているということです。
違う例えだと「猜疑心」。
相手を疑うのは、疑っていることが現実になることを望んでいるというです。
現実は望んだことしか起きないので、猜疑心は「こんなはずじゃなかった」という結果がもれなく現実としてあらわれます。
別の例えだと、ある人は「私さえ我慢したら事態は悪化しない」と思っていたり、またある人は「幸せになるために今の不幸を受け入れている」と思っていたというのがありました。
ということは、前者の場合、求めているものは、良くなることじゃなくて、これ以上悪化しないことですよね。
良くしたいのは「目的志向」の考えだけど、悪くならないようにしたいのは、「問題回避」の考えをしているわけです。
だから思い通りの現実にしたいなら、自分がどちらを選んで、何を達成しようとしているのかを、まず、自覚しないといけないんです。
良くするにはリスクがともなう覚悟で挑む。(アクセル)
悪くならないようにするならリスクを避ける。(ブレーキ)
この時、自分がより良くするために、リスクを避けるのであれば、当然、「問題回避」を選んだ結果として、我慢や犠牲を強いられるということです。
後者の場合、幸せのために不幸を選んでいるという矛盾を起こしています。
幸せのために、幸せを選ぶことが真実なんですよ。
だから、どちらの人も真実を間違えているので、本末転倒ですよね。
あるキリストの信者さんは、「この不幸な出来事は、神様が与えてくれた必要なものだからありがたく受け取っています」と言われていました。
ということは、幸せに必要なものは「不幸」だということになってしまいます。
おかしいでしょ?
自分の今の幸せに必要なものは、違う幸せ、別の幸せ、誰かの幸せなんです。
幸せを増やすというのは、幸せの掛け算で、ウィンウィンにすることです。
本当に望むもののために必要なことが「困難(リスク)」という現実なら、その現実を受け入れましょうというのが真実です。
だから現実を「不幸」と思っていれば、不幸なことを選び続けることになります。
確かに、現実をどれだけ否定しても、事実を変えることはできません。
人は、出されたカードでしか勝負できないのです。
でも、選び直すことは今すぐできるんですよ。
嫌なことが続くなら、そこに留まってでもほしいものが本当にほしいものかを振り返り、必要じゃないなら、そこから去るのは自分自身です。
どんなに喚いても、嘆いても、自分以外を変えることは不可能です。
自分を誰かに幸せにしてもらおうとしたり、我慢し続けたり、嫌々やればやるほど問題は悪化していきます。
4)まとめ
セレンディピティとは、不測の事態で積極的な判断がもたらす思いがけない幸運のことです。
セレンディピティを味方につける思考には、システム思考があります。
システムとは、どうしたらそうなるのか?という構造のことです。
辛いものを食べ続ける→血管が細くなる→心不全を起こす、等。
親が誰かを恨んでいる→子供がいじめに遭う→引きこもり、等。
セレンディピティを起こすために必要な要素は、行動、気づき、受容です。
山本真弓
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