【現実創造】願望が実現しない人は本当に欲しいものをすでに持っている
※※画像:Starring/映画「リトルショップオブホラーズ」/ポスター/ライセンス:DMCA/出典:Wallpaperbetter
願望が実現しない人の本当に欲しいもの
欲しいものが手に入らないのは、もっと欲しいものをもう手に入れているからですが、求める人は「それが何か?」に気づいていません。
なぜなら、「欲しい!」と思いながら、実は心の奥底ではもっと深い願いがあって、それを実現していると気づけないのは、見えるものしか意識にないからです。
「欲しい!」とアクセルを踏みながら、「でも無理!」とブレーキを踏む。
心が求めるものを実現するために、あらゆるできない理由を作り、言い聞かせているのは、自分の心(魂)ではなく、自分の思考です。
それだけ渇望するほど、喉から手が出るほど欲しい「あらゆる人間に共通するもの」とは何でしょうか?
欲しい!もっとほしい!と言いながらできないのは、できないことで得られるものがあるから「できない現実」を創る。
お金がないという状態もこの方程式にあてはまりますね。
続かないことは続かないことで、結果がでないものは結果が出ないことで実現していることがあります。
これは私が成果のでない人にいつもしていることですが、どんどん心の芯に当たるように質問を投げていくと、ほとんどの人に「ある共通したもの」が出てきます。
その共通したあるものこそ「自己重要感」です。
できないほうが自己重要感を満たせるので、思考が欲するものは、心(魂)でこう思っています。
実現してしまうと自己重要感が損なわれる、と。
転職したいけどできない。
離婚したいけどできない。
結婚したいけどできない。
引越ししたいけどできない。
やめたいけどできない。
もっと人を集めたいけどできない。
売上を上げたいのにできない。
こういったできない理由のトップ3は、①お金、②時間、③スキル
それらが「ないから」できない。
たとえば、お金がないからとすると、今度は「お金がほしい」という願望が生まれます。
でも、本来の自分の願望は、自己重要感を満たすことですから、お金が入ってきたら自己重要感を損なうと思うわけです。
だから、お金が増える機会を見逃したり、辞退したり、受け取らない選択をするのです。
計算ができないから経営をしないオーナーになりたい。
数学は嫌いだから分析しない1人ビジネスをしたい。
・・・無理ですよね。
だから「やりたくないことをやらない」が実現できているんですね。
外側から見れば経営者、オーナー、先生に見えるので満足できる人もいます。
他にもいろんな事例がありますけど、ほぼ例外を除いて本当に欲しいものは自己重要感です。
人間関係をよくすることより自己重要感
お金を稼ぐことより自己重要感
成長することより自己重要感
突き詰めれば、自己重要感を外へ求めている状態で、何を何回挑戦しても失うのは、自分の思考が求めている願望です。
で、この自己重要感を自己価値観ともいいます。
喉から手が出るほど渇望する感情は「レベル2」
自己重要感は、人間が最も渇望する感情で、「渇望」とは、心から望むこと、切望、熱望のことで、仏教では「餓鬼」といいます。
魂のレベルは「マズローの欲求5段階説」が有名ですけど、仏教では「六道」で表されます。
レベル1:地獄(心の中が不安だらけ)
レベル2:餓鬼(次から次に物乞し枯渇している)
レベル2+3:鬼畜(自分の理想を相手に求める)
レベル3:畜生(人の不幸を願う嫉妬心で幸せが遠のく)
レベル4:修羅(勝つことが目的になって成功が遠のく)
レベル5:人間(知識を知恵にできる)
レベル6:天上(苦を避け楽で楽しいことしかしない)
ちなみにこの中で、レベル6がレベル1以上の苦しみを経験すると言われます。
特に、年齢と苦を避ける期間は比例するので、避け続けていることは、年を取れば取るほど苦しい状況に追い込まれていくということですね。
あの時、やればできたことを、やろうと思えばチャンスがあったことを避け続けている状態が「レベル6」の、ありのままを自己都合で解釈する人たちです。
こうして、生まれながらにして人が渇望する感情こそ、自己重要感を求めるが故なんですが、認められたいとか、自分を価値のある存在だと思ってもらいたいという欲求の「種」は、誰もが生まれながらにして持っています。
だから本来であれば、5~10歳までに満たされ尽くしていることが理想なんですね。
で、思考が「目に見えるもの」を求めながら、心(魂)が「それが実現しまうと自己重要感が侵害される」と思っていたら、言動は「なーい!」と叫びます。
なので、いつも実現するのは、思考ではなく「魂の声」だということを私たちは忘れてはいけないんです。
「なーい!」と叫んだら思考が求めるものは実現せずに、心の願望は達成できるわけですから。
結局、「なーい!」という人のほとんどは、実はあるんですよ。
「ないから買えません」と断った後、スマホの機種変更ならできますから。
ということは、断る口実が「ない」という思考癖になっているということです。
この「ないのでできません」「ないので行けません」という思考癖は、不幸癖とも言われます。
なぜなら、他人は断られても「それなら仕方ないよね」と、ない理由やできない理由に納得してくれますし、それは同時に、自分の主張が正当化できたわけですから、「私は正しいことが認められた」という自己重要感は満たせていますよね。
こういった、自分を正当化することで他者に認められることを「自己正当化」といいます。
自己正当化は、自分を守る最たる手段として、責任の所在を自分以外にします。
その結果を「言い訳」といいます。
あの時こうだったからとか、理由を後付するものが「言い訳」ですね。
今は無理なら無理でいいんですけど、やらなかったのは自分だということを忘れていると、うまくいかないのは、自分がやらなかったことが原因だということも忘れてしまいます。
自分がやらないと決めたことのリスクは自分で負わないと、誰も肩代わりしてくれないんです。
たとえば、PCが苦手なら苦手でいいし、やりたくないならやらなくていいのですが、自分の本当にやりたいことの中でPC作業が必要になった時、誰かにやってもらうか、自分でできるようになるか、いずれかしかないのです。
ただやりたくないから「ない」を断る口実にし続けていたら、自分を選んでくれる人はどんどん減り続けていくということです。
あなたはできないから仕方ないよ、と。
自己重要感は自分で満たす
自分宛てに、次のような手紙を書いてあげてみてください。
私は、すでに愛され認められている存在です。
自分で書いた自分からの手紙を読んでも泣けないなら、承認欲求が肥大化している可能性を疑うほうが解決は早いです。
自分を認められない自分を他人に認めてもらおうとしても、どんどんやることが増えていきます。
見えるところしか頑張れなくなるので、見せるために頑張るしかないからです。
自分で満たせない自分を他者に満たしてもらう承認欲求は、不安になるたび、「ねーねー、私を構って。私をもっと大切にして」と、さらに他者に愛情を求めていくようになり、「凄いね、素晴らしいね、いい人ね」と言われることで自己重要感が満たされたと錯覚していきます。
他者からその言葉をもらえるような行動をしたりします。
でも、他者に求めなくても自分で自己重要感を満たすことはできるんです。
自分で自分を満たしていたら、機嫌が悪くなったり、いい人だと言われるような行動をしなくてよくなります。
なので、欲しいものがないことで、どんな自己重要感を得ているのか?を自分に聞いてみてください。
「自己重要感」と一言で言っても、どういうことが自分にとって自己重要感が満たされた状態なのかは、人の経験の数だけありますから。
私の場合は、「哀れな目で私を見ないで」という自分が根底に見つかったので、「デキルように見られること」が、自己重要感が満たされた状態でした。
当然、デキルように見られたので、手伝ってあげたいと思ってくれる人には出会えませんでした。
一度粘着した思考のブロックは、「自分を満たそう!」という言い聞かせ(偽ポジティブ)になってしまいます。
そして次から次へと新しいやりたいことがでてきて、「私、決めました」と宣言しながら、また途中で放りなげて次の新しいことを始めます。
誰に褒められなくても満足できる。
誰に見てもらえなくても満足できる。
ここが1つ目のゴールです。
人は、褒めてもらうために在るのではなく、「この人のここが足らないから手伝ってあげたい」と、フォローしてもらうことなので。
山本真弓
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