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真実を知ることより自分の信じたいことを探すなら、YESが出るまで引き続けるタロットをしてるんだよ。

【自分がわからない人へ】 自分の中にいる3人の自分を統合しよう




自分がわからない人へ



自分には少なくとも3人の自分がいると言われます。


だから、自分がわからない人は、どんな3人の自分がいるのかを知らないと解決策が見えてきません。




①本来の姿


持って生まれてきた気質

もともと備わっている特徴

DNA(遺伝子・本質)




②セルフイメージ


私は自分のことをこう思っている



明るい⇔暗い

活発⇔おとなしい

おしゃべり⇔無口

社交的⇔内向的

個性的⇔類型的



等々...自分を鏡で見た時、その鏡に映る自分が、鏡を見ている自分にどんな印象を持っているのかということですね。


印象や態度、特徴が外から見える言葉は他にも無数にあるのですが、その中で自分は「これだな」と思うものが、セルフイメージ(自分の当たり前)です。




③周囲からそう思われている自分


あなたってこうよね、と思われている部分



男性と女性、自分より若い(もしくは上の)世代と同世代、仲のいい人と知り合い、職場の人と家族、異性友達と配偶者(恋人)、自分の父(母親)と自分の息子(娘)等々、同じ属性(セグメント)の中にいる距離感が違う人たちに複数聞くのが一番よくわかります。



この3人の自分が一貫していたら、すごく生きるのが楽しいし、楽しいということは、行動が望む結果を出しやすいということでもあります。


では、3人の自分とはどんな自分なのかをお話ししていきたいと思います。


 

目次

 

自分がわからない人へ、3人の自分を統合しよう


セルフイメージと周囲のイメージが違う場合



セルフイメージと、周囲の自分に対するイメージが違うと、本来の自分とセルフイメージは一致していても、本来の自分と周囲の自分に対するイメージが一致することは稀です。


セルフイメージが本来の自分と乖離しているということは、「自分は何者なのか?」が的確に把握できていないということです。



たとえば、「できない私を周囲はできると思っている」とします。


この場合、あなたのできないことが周囲に伝わっていないのではなくて、できないと思っている自分は、「本当は、やればできると思ってるんじゃないの?」ということを問われているんですね。



「ノー」と言えない人は、特にこの傾向が強いです。


だから自分でやってしまうと、周囲は当然できると思います。



 

本来の自分とは違うセルフイメージと周囲のイメージが同じ場合




たとえば、周囲から我慢強いと言われ続けた自分を、我慢強いと思い込んでいる人の「強さ」は、持って生まれた気質からくる忍耐力とは違います。


我慢強いとジャッジされる前にあったはずの「辛抱強い自分」でもありません。


私が人を「痛い」と感じるのは、この「本来の自分じゃない自分を、本来の自分だと思い込んでいる」ときです。



今回、我慢強いという性質を例えにしましたが、本来の自分が仮に「粘り強さ」なら、それは忍耐力でもなければ、辛抱強いわけでもなく、ましてや我慢強さとは全然違う強さです。



粘り強さは、「持久力」です。

辛抱することや耐えること、我慢することでは手に入らない力が、持久力です。



「息が長い」というのは、続ける力だし、「耐久」は、衝撃に耐える度合い。


だから、この2つは、対比するものではないのです。


「持久力」は行動する動作を、辛抱や耐久は自分から動かない状態。




似たような言葉に、辛抱と我慢もあります。


「辛抱」は、目標を達成するためにやらないことへの意思の強さ。


「我慢」は、自分を犠牲にすることで、自分以外を優先すること。



飲み会に誘われても断るとか、上からの強い圧力に動じないとか、そういうのは、誘うのも、圧力をかけるのも、自分じゃなくて、外から働きかけられる行為ですね。



「あなたは我慢強い人ね」と言われ続けた自分を、「私は我慢強い人だ」と思い込んでいるなら、我慢強くなることで、欲しいものを今手に出来ているか?を振り返ると、すぐに答えが出ると思うのです。



自分は我慢強いからこそ、それが手に入ったと言える「それ」が明確にわかるなら、我慢強い自分は本来の自分なのだと思います。


だけど、我慢強い人の多くは、欲しいものを我慢している事実は否めません。


だからもう一度、これを機に、欲しいもののために我慢していることはないか?を考えてみてほしいのです。


我慢しても欲しいものが手に入っていないとしたら、我慢強い自分を演じているということになります。


演じなければならなくなった、誰かの圧力が大きいということです。



 

他人を意識する本当の目的




今回の例はいずれにしても、行動しないのは、持って生まれた資源「持久力」を発揮できていないので宝の持ち腐れ状態なんですね。



宝の持ち腐れの多くは、抑え込まれものが鬱屈している状態で、溜まっているものが出てくると、あえて出さないように意識が働きます。


我慢強い人の人生のメインテーマは、「我慢すること」なので、出さないようにするのが、習慣(無意識)になっているからです。



「我慢」が目的であれば、我慢することを達成するために、できない理由が起きたり、始めたものを辞めざるを得なくなったり、人が来なくなったり、モヤモヤが溜まってスッキリしない状態が続いて、なんだかんだと楽しくないと思うことが増えていきます。



そして、それが結果として顔や態度に出ます。


不機嫌そうとか、笑わないとか、周囲が気を使う存在になっていきます。



周囲が気を使うようになると、「遠慮」が心の距離を開けていくので、自分は嫌われているんじゃないか?と、やりがいもアイデンティティも見失っていきます。


当たり前にしてくれた親切さえ、裏があるんじゃないか?とか、猜疑的(被害妄想)になって、感謝しにくくなっていきます。



確かに、自分の立ち位置を確認するためにも、他者からどう見えているかを意識することは大事です。(どう見られるかを気にすることではない)



意識しすぎるのは良くないにしても、人に見られていると思うからこそ、清潔でいようとか、笑顔でいようとか思えるわけですから有用なんです。



協調性は、相手に調子を合わせること。

社交性は、本来の自分を出すこと。



束の間一緒に過ごすなら相手に合わせる。

近い未来も一緒にいたいなら本気を伝える。

ずっと一緒にいたいなら自分に嘘をつかない。



本来の自分でセルフイメージを再構築してブランディングするとき、最低でもこの3つさえやっていれば、だいたいのことは自分の予想通りの結果になります。



仮にそこまでやってダメなら後悔しません。


やるだけのことはやった結果、繋がるべき人ではなかっただけのことですからね。



人を見る目的は、あくまでも自分を確認するためです。


決して他者の目に縛られてしまうのではなくて。




 

キミを心配させるものが、キミを支配する。

山本真弓

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