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真実を知ることより自分の信じたいことを探すなら、YESが出るまで引き続けるタロットをしてるんだよ。

【方向性がわからない人へ】怒りは自分の行くべき道を照らす


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画像:1908年・フォードT型/出典:webCG





「怒り」の使い道



「ムカッ」とか、「イラッ」とした時、その感情を打ち消す人が多いのだけど、怒りは自分の才能を消してしまうので非常にもったいない。



そもそも「怒り」は、自分にできるから生まれる感情です。




特に、嫉妬や妬み。



そのドロドロした醜い感情は、自分がやろうと思えばできることを、先に対象がやっている(もっている)からこそ生まれる感情なんですよ。



隠しておきたい「ネガティブな感情」は、自分が進むべき方向に間違いがないことを証明してくれていますよ。




それを言い聞かせで打ち消してしまうのは機会損失です。




それに、打ち消してしまう時というのは、だいたい自分を下げるか、相手を見下すかのどちらかになることがほとんどです。


自分であれ、相手であれ、「見下す」というのは自惚れている裏返しです。



「自惚れ」を仏教用語で「慢」といいます。



あんな人に言っても無駄、どうせ私はバカだからとか・・・どっちが上とか下とか、白か黒かといった「ジャッジ癖」は、方向性の問題じゃなくて、相手の願望を達成させてしまい、自分が望まない結末を繰り返しやすいのです。



心の中に「自惚れ=慢」がある状態では、どっちにしてもうまくいきません。



自惚れは、自分の恥を隠す手段になっているので(自利)、相手を幸せにするために機能しないからです(利他)。



 

ネガティブな感情でわかる「繰り返す原因」




ネガティブな感情は最初、違和感として出てきます。



なんかスッキリしない、なんか違う、なんかザワザワするといった、素直に「イエス」と言えないモヤモヤとしてあらわれます。



その違和感を気のせいにしたり、その場を穏便に済ませるために、自分の中で消してしまうと、消化不良を起こします。



消化不良になった違和感は今度、嫌悪感として出てきて対象を嫌いになります。



そして、うまくやり過ごそうとする自分と、心の中にある「イヤ」という自分が戦うようになります。



それこそが「葛藤」と言われるものですね。



でも、本当は、相手に勝ちたい自分(本音)と、それを実行することでどう見られるかを気にする自分(建前)が戦っているだけなんですね。




これが「怒りのバイアス」、つまり、思い込みの正体です。


思い込みの本質は、自己重要感を守るものです。


自己重要感とは、大切に扱われる自分の度合いのことです。



逆を言えば、恥をかきたくないと思っているということですね。


だけど、長い人生の中で人は、この「恥」をかくことが必ずやってきます。


恥を出せないと、ずっと隠し続けるしかないので、ものすごく苦しみます。



プライドが高い人は劣等感が強いと言われるのは、恥を隠す手段がプライドだからですね。







言い返すことややり返すことは、自分の人生を実現する目的ではないというのを理性はわかっているので、理性が自分にブレーキを踏ませます。



理性は自分を正しい道に導いてくれているのに、知性のない人ほど理性より本能が大事だと信じています。


もうこの時点で失敗を繰り返すことが確定されるわけですよ。




自己実現の目的が「勝つ」ことだったら、ずっと戦い続けないといけなくて、やられる恐怖は死ぬまで持ち続けることになります。



徳川家康も辞世の句でこう書いています。


天下を取っても、安らげる場所はなかった。




こうして「ネガティブな感情」は、相手にないものを自分は持っていることを知らせるサインなので、怒りを外にぶつけているうちは、本当の自分に気づけません。



だから、相手を見るのではなく、「どんなことが許せないのか?」を明確にしてみてください。



私は、嫌いな相手の「見掛け倒し」が許せませんでした。


「どう見られるか?」を判断基準にする人が大嫌いでした。


要は、成功者のフリをするのが許せなかったんですね。



なので、こういった人に二度と会わない自分になるために、「なぜ、成功者のフリをするのが許せないのか?」を自分に聞きました。



その答えこそ、私が成功者のフリをした人に出会い続ける原因だったんです。



私が成功者のフリをする人に異常に嫌悪した理由は、中身がないからです。


つまり、私は、フリをしなくても成功できるロジック(中身)を作ることができるのに、やっていませんでした。



「体系立てて物事を考え仕組化できる才能(得意)」を出していないから、フリをした人に出会い続けているのがわかったんですね。



なぜやらなかったかというと「めんどくさかった」からです。



こうして、怒りは、「できる自分」を教えてくれる最強の助っ人です。




それはあなたも同じです。


才能(得意)を出さない理由が、怒りとして出てくるんですね。




才能(得意)は、自分に合わない環境では出にくい特徴があります。


なぜなら、「怒り」が邪魔をするからです。


であれば、怒りのお陰で才能がわかるということですよね。




そして、出せない理由も、あなたの「できない理由」の中にあります。


つまり、出来ない理由が、怒りの本質です。


やろうと思えばできることを、出来ない理由で正当化してやらないだけなんです。



自分がやればできることを、相手が先にできているなら嫉妬として、相手に出来ていないなら見下しとして、怒りになって出てきます。




相手もあなたを見下しているので、あなたが相手の「こんなもん」を信じて、自分にできることを「こんなもん」と思うなら、才能を見下してるので、自分の才能に気づけなくて当たり前ですね。




お金が、時間が、子供が、体が、能力(スキル)が・・・と、理由はいろいろあると思うのですが、見るべきところは、出来ない理由じゃありません。



できない理由の根底にある「やりたくないのはなぜか?」を見てください。


やりたくてもできない理由の本質も同じ「やりたくない」ということです。


答えはいつもシンプルなのに、複雑にしているのは自分自身ですからね。



やりたくてもできない理由=やりたくないことを正当化できる言い訳は、だいたい、お金、時間、自信(スキル)のどれかが多いです。



これも「そこまでしてやりたくない」というのが本音で出てくることが多いです。


なぜなら、本当にやりたいことは、出来ない理由を持たないからです。




まとめると、言い聞かせで消化した違和感は、消化不良になって葛藤へ変わり、

葛藤している「許せない理由」が怒りの正体です。


その「許せない理由」こそ、あなたがやろうと思えばできることをやっていないから、怒りになって出てきているんですね。



  • イラっとすることは何?

  • 絶対許せないと思う人はどんな人?

  • それはなぜ?



を具体的に書き出してみてください。


自分の才能(得意)がわかるチャンスですよ。



 

「怒り」が教える自分の使命



非常に強いパワーのある「怒り」は、人間の本能なので、やっぱり何かしら意味があって、人間の感情に「怒るスイッチ」が装備されているんです。



結局、許せない逆の価値観が、自分の中に確かにあるんですね。



チャラい人が許せないなら、自分自身がもっと堅実に、もっと真面目に、もっとピシッとしたい裏返しですし、ちゃんとしなければならないという執着になっていることも多いです。



たまにはチャラくしたい、気を抜きたいと思っている自分を「真面目にしなければならない」という執着で抑え込んでいるということですね。



相手ができることを、自分ができていないからイラッとするのか?


相手ができないことを、自分ができるからイラッとするのか?


いずれにしても、自分が隠しているネガティブなところを相手を通して見ているだけなんですけど、自分にできることをできない理由で言い聞かせているから、持ち腐れた「お宝」が、非生産的なものに出てきてしまっているだけなんですね。




本当に好きなことに注がれない情熱は問題に向きを変え、破壊に変わります






現実は、セルフイメージ(自分の当たり前)を見ているにすぎません。


だから、相手に対する怒りは同時に自分に対する怒りと同質のものですよ。




良い人でいるために、愚痴や悪口は言っちゃいけないと思っていると、愚痴や悪口を言う人に出会うし、この世は自分の鏡(法鏡)ですね。



だから、現実を今すぐ変えたいなら、許せないことを自ら主体的に解決する。



それを「使命=生きる意味」といいます。



自分の使命を生きるだけで、許せないことをする人は寄り付かなくなります。


この世は自分の鏡で、次元の違う人は自分ではないので出会わないから。



山本真弓

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