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真実を知ることより自分の信じたいことを探すなら、YESが出るまで引き続けるタロットをしてるんだよ。

【因縁】出会いに恵まれる人は自分の当たり前を変えています


トーマス・キンケード 画家 パリ ノスタルジー 因縁 セルフイメージ 劇的 ドラマティック シネマティック 絵になる町

※画像:トーマス・キンケード/パリ/ライセンス:DMCA/出典:Wallpaperbetter




「当たり前」に出会う意味



Amazonとか、どの書評にも「どこかで読んだことのある内容で目新しいことがなかった」というような、新しいことを求める人が一定数存在します。



でも、どこかで読んだことをできているんだったら、その本には出会ってなかったと思うんです。



あと、「当たり前のことしか書いていないのでガッカリ」というレビューもよく見るんだけど、新しい何かを求める自分は、当たり前のことを探してしまっている矛盾に気づいていないのだと思います。



当然、脳は思考の指示に従うので、当たり前のことを探し出してくれます。


それは、人は真実を知るより、自分の信じたいものを探す習慣があるからです。


そして結果は、「こんなはずじゃなかった」となります。




本を読む目的が、本の内容をできるようになるためなら、手段は、読んだことを実践することですよね。



だけど、もし、読むことが目的なら、手段は、何を読むか?になります。



当然、後者は、知識は増えるかも知れませんが、血肉になることはありません。



もちろん、著者自身も、既存の言葉を受け売りしている場合、こういったレビューを招来する原因をつくっているのだと思います。



自分らしくとか、答えは自分の中にあるとか、自己啓発的な情報は、すでに飽和状態で、どれを見ても大差ないですしね。



読むことが目的で、何を読むかが手段になっている今回の場合、このユーザーの問題は、新しいことに出会えないことじゃなくて、理想と現実にギャップがあるということです。







理想と現実にあるギャップを「問題」というので、問題の解決策は2つしかありません。



理想を現実まで下げるか?


現実を理想まで上げるか?




この時、理想が「知識を増やすこと」なら、当たり前に出会う現実も増えていきます。



なぜなら、本というのは、過去の焼き直しに過ぎないからです。




未来は過去で作られているので、結局、当たり前のこと(過去)が当たり前にできないと、当たり前を応用すること(未来)もできないんですね。



であれば、当たり前のことしか書いていない本に出会う問題の本質は、知ってて当たり前のことを使いこなせていないということです。



知ってて当たり前のことを使いこなせないから、似たような知っていることに出会ってしまうんですね。



当たり前を使いこせないというのは、数学ができないのに1人経営はできないし、相手の気持が理解できない自分の気持は理解されない・・・そういったことです。



それ以前に、自分の当たり前は、誰かにとって当たり前ではないことも理解しておかないと、コミュ不全を起こしますよね。




 

出会いの方程式



そもそも「出会い」というのは、自分の中にある「原因」に見合う出会いしか起こりません。


原因が「使いこなせていないこと」なら、使いこなせるまで似た出会いを繰り返すということです。



こういうのを「因縁」といいます。



因縁とはもともと仏教用語で、自分にある原因にふさわしい出会いをするという意味があります。



であれば、原因を変えなければ、出会いも変わらないということですよね。


もしくは、原因を変えてしまう出会いを受け入れたらいいのです。



ですが、自分の中にある原因を変えてしまう出会いというのは、嫌悪する対象に出会うということですから、前者より難しいと思います。



さっきの書評のような「自分が信じたいもの」を探すのが当たり前になっていますから、気づけなくて当たり前ですからね。


でも真実は、当たり前ができていないから、当たり前に出会うということです。




知識を増やそうとする原因が、「できた気になるから」だとしたら、その考えを変えない限り、期待外れの出会いが増えていくわけです。



そもそも、新しいことに出会うというのは、当たり前のことをやる中で、自分で発見することです。



本に書いてある答えは著者の経験則なので、あなたがやっても違う結果になるはずです。


生まれた環境も、歩んできた道のりも違う人と同じ結果になることは、まずありません。


自分で実際やってみた結果こそが、本にもどこにもない、あなただけの「新しいこと」なんですよ。



だからこそ、知ってることと、できることは、まったく別物だということを実体験できるんですね。






 

結果に必要なことは、原因を作る目的




何をやるか?(手段/戦術)の前に、なぜそれをやるのか?(目的/戦略)


それをやる前に、やった後、誰にフィードバックするのか?




誰かにフィードバックをもらわないと、我流をやめることはできません。


1人でできるようになった次のステージでも1人のままなら、それはただの自己満足で終わります。







誰かに必要とされる自分(価値)をつくるために「学び」はあるので、学ぶことが目的になったら、知ったかぶりが手段になってしまいます。


知ってるように見られるために学ぶのは、本末転倒ですね。



こうして現実は、あらかじめ用意されているわけではなく、自分の原因と出会いによって創られた結果(因縁の結果)です。



だから、結果を変えたければ、今、その結果にふさわしい原因を自分で創らないといけません。



その原因を作るものが、なぜそれをするのか?という目的(戦略)です。




山本真弓

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