【因果】不運が続く人に共通する「違和感を我慢する、逃げる、無視する」
不運が続くとか、トラブル、問題が起こる前には、必ず予兆があります。
「あ、これ、問題が起きるな」という予兆は、誰でも違和感でわかります。
直感の本質は、この「予兆」を的中させる感性のことなので、世間一般で言われる「ひらめき」の意味じゃありません。
「ひらめいた」という人は、単なる思いつきであることがとても多いです。
根拠を聞かれても、「ただなんとなく」としか答えられないものはだいたい思いつきの場合が多いです。
胸騒ぎみたいな、なんか違う、気持ちがザワザワする・・・。
違和感って、誰でもありますよね?
違和感は、自分にとって「自然じゃない」と心が訴えている感情です。
昨日は自宅でワークショップをする日だったんだけど、みんなが帰る時、私も自転車を押しながら駅まで一緒に行きました。
1人が「海外の自転車みたい」と言った時、私はこの自転車を選んだ理由を話しました。
「ブランドはわからないけど、タイヤの幅が太いのが気に入ったの」
その時、口には出さなかったけど、頭で呟いてることがありました。
『踏切で自転車は押して歩く』
そう考えるようになったのは、ある事故を見てからです。
自転車に乗った女性が、電車のレールでタイヤが滑って転倒、トラックに轢かれたんです。
似たような事故は、最近も関東方面でニュースになっていました。
その事故を見た時、私は24歳の自分を思い出していました。
国道1号線で自転車がスリップして右側に転倒、クラウンの後輪のどこかに、ワンピースの紐が絡まった自転車のカゴが絡まり、1号線のど真ん中まで引きずられました。
運転しない人のために補足すると、国道1号線は、関西と関東を1本で結ぶ大動脈の役目があります。
片側4車線くらいある巨大道路で、私は2車線まで引きずられました。
里芋をタワシで洗ったみたいに、手も腕も体も全身ズル剥けになり、ワンピースもパンストも肉体から剥がれ落ち、原型がなくなっていました。
4センチのヒールは、カカト部分が本体からもぎ取られました。
時速80キロの脅威の体験で私が得たのは、警察官の言葉です。
「タイヤの太い自転車がいいよ」
その時、別の警察官の言葉も鮮明に甦ってきました。
『顔が無傷というのは普通あり得ない。なんて強運の持ち主なんだ』
その言葉を思い出した時、父と殴り合いの喧嘩をして警察や記者が来たことを思い出しました。
私の顔だけは手を出さなかった、ということを思い出したんです。
事情聴取を受けた時、警察官から父の思いを聞かされました。
『顔だけは何があっても守らなあかん』
化粧品会社にいる(いた)私の商売道具が顔だと解釈しているのか、メンツのことを言ってるのか、【顔】が意味するものは今もわかりません。
でも、父は昔から「顔を守る」考えを持っていたことが、交通事故で顔だけ無傷だったことに一致するんじゃないか?と思ったんです。
ユングの言う「集合的無意識」のことですね。
自分だけがそう思ってるからそうなるんじゃない、周囲がそう思ってるからそうなってしまう、というのが集合的無意識です。
父はもう亡くなっているので本心は聴けないけど、少なくても「顔」には2つの意味合いがあるということだけはわかりました。
父の言わんとすることが、もし、【メンツ】を指すなら、そういう世界から足を洗った私にはもういらんなって思いました。
誰を、何を選んでも自己責任という立場の世界に行ったので。
それと、昨日はちょうど徹夜明けだったので、時間がなかったからスッピンでみんなを迎えたけど、時間がない結果を求めていたのは私でした。
スッピンになる理由(OR スッピンが嫌な理由)ができるから。
現実はすべて自分が求めた結果だから。
あなたも嫌な結果になるのは、嫌を求めているのはあなた自身です。
嫌を正当化できる「できない理由」がほしいだけだから。
そしてその理由を正当化してやらないか、できなくてもやるんじゃ!と自分を完全否定できるかで、もう結果は見えているんです。
私がスッピンが嫌なら、徹夜を理由に開始時刻を遅らせていたと思えます。
でも、スッピンでもやるんじゃ!と思ったから定刻に開始できたのです。
全部、自分の選択した通りの結果にしかならないのです。
あの時、泥水を飲んだ無念な自分に「それでもやりたいか?ほんまに好きか?」を試されてるのが、「イヤ」という感情だからね。
ということは、今の私にとって、父が守ってくれた「顔」はどっちの意味でも、守ってくれたおかげで捨てることができた(気づけた)ということです。
大義名分という顔も、体裁を保つ顔も、見栄を張る顔も、世話になったから我慢してやる顔も、流行の顔も、年をとったおかげでやっといらなくなったのです。
私は、父の写真に一礼して、「みんなをできる人間にするで!」と誓い、スッピンのままみんなを迎えました。
その人間には「違和感に対する行動の欠点(癖)」があります。
違和感は、我慢する、逃げる、無視すると、自分の本当にやりたいことができなくなったり、わからなくなっていきます。
昨日来てくれた人は、女性は我慢する癖があり、男性は逃げる癖があり、私は無視する癖があります。
正確に言えば、「ありました」ということですが。
違和感を我慢すると、自分を我慢させることが増えるので、爆発することが起こります。
人間は2つ同時に考えられないので、我慢している間は、自分のやりたいことができません。
違和感から逃げると、先延ばしにすることが増えるので、先延ばしにされることが増えます。
先延ばしにされると、当然、自分のやりたいことができません。
違和感を無視すると、自分には関係ないことが、自分事になって直撃します。
つまり、「まさか私が」という経験をするということです。
それを解決するために、自分のやりたいことができません。
そして、それらが続いていくと、方向性までわからなくなっていきます。
昨日来てくれた、「違和感を我慢する人」は、我慢を爆発させることを経験しました。
逃げる人は、後手にしないことを経験しました。
3つに共通する正しい行動は、違和感に対して、今までと逆をすることで「備え」が作れます。
気になることはその場で解決してしまうのです。
直感は、違和感をそのままにしない繰り返しで予兆を的中させていきます。
最終的に、あなたがダメというなら仕方ないよね、と言われる人間になれます。
つまり、あなたのせいにしない人に囲まれるということです。
あなたがダメなんだから誰がやってもダメだと一目置かれるという意味ですね。
自分だけは滑らないとか、自分はコケないとか、自分はあの人とは違うとか・・・そんな根拠のない直感は違和感をもみ消す理由にしかなりません。
直感を磨くというのは、なんとなくそう思うことを、なぜそう思うのかを言語化するために、違和感のもつ欠点を経験することなんですね。
何でも失敗しないとわからないからです。
その経験が「あなたがダメと言ったらダメなんだ」と一目置かれる根拠になります。
ちょっとした違和感を蔑ろ(ないがしろ)にしない。
ただそれだけのことで危機管理能力に大きな差が生じるので、自分が明日倒れても大丈夫な備えができるんですね。
自分を磨くことが大事だと言われるのも、自分磨きとは経験を増やすことそのものだからです。
その経験は、今と無関係ではなく、すべてつないでいくと、あの時のことは、今のこのことを知らせる予告だったとわかります。
日記や日報が重要だと言われるのは、因果関係、相関関係を知るためです。
いいとわかっていてもできない人は、「今のまま結果だけほしい」のです。
幸せと引き換えに現状が壊れるのが嫌なだけなんですね。
現状を壊したほうがもっと幸せになれるのに、ね。
山本 真弓
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