【テイカー】恐いほど幸せなのに幸せを失うのはなぜ?
トラブルが絶えず職を転々としたゴッホ(画家)を見ていると、誰かが言った「私たちは、愛は知っていても表現を知らないだけ」を思い出します。
幸いゴッホは愛を絵で表現できたし、画材がいることも、日本の浮世絵がたくさん欲しいことも、弟テオや恋人に言うことで実現しています。
当時、フランスは、空前の日本ブームで、ジャポニズム(日本の創作活動)が大流行している中、ゴッホは特に浮世絵の手法に惹かれたそうです。
西洋画にない浮世絵にある「エッジを効かせる」ことや、「陰影をつけない・遠近法をやめる」ことで、ゴッホは西洋の常識を塗り替えました。
結局、テイカー(餓鬼)に化身するのは、不満をほしい理由にしているのだと思います。
足らないからほしい、汚いからほしい、ダサいからほしい、来ないからほしい、儲からないからほしい、とか。
だけど、上位ギバー(利他)の人を見ていると、ゴッホに通じるものがあります。
絵を描きたいからほしい。
だから、テイカーに出会わないために自分にできることは、「したいからほしい」というニーズを習慣にすることに尽きると思います。
これは、恐いほど幸せなら恐いから失うという理論と全く同じです。
太宰治の小説で例えると、「臆病者は幸福さえも恐れるのだ」
幸せが大きいほど不安になっていく、というのは皮肉なものです。
低い山だったらこんな不安はありません。
落ちても痛くないから安心です。
幸せの山が高いと【不安】
低い山だと【不満】
不安がいいか。不満がいいか。
どんな生き方を選択しても、そこにはそこの苦しみがあることを、親鸞聖人は『生死の苦海ほとりなし』と言いますが、私が釈迦的に言い換えるとこうなります。
恐さを越えるくらいなら苦しいほうがいい。
それが苦しみの正体です。
苦しいから恐いんじゃなくて、恐いから苦しい方を選んで生きているということですね。
ほしい理由がネガティブなら、テイカーに限らず、自分が苦しいから人のことを考えて行動できない人に出会うということですね。
元から払えない人は、上位ギバーになりやすいのだけど、払いたくない人は、払わなくてもいいようなこと、例えば払えないことが起きてるし。
表面だけ見ると、どちらも「払えない」だけど、動機が間違っていることは、本人も気づけないことが多いし。
繰り返す問題は、自分が本当に求めているものが見えているんです。
自分の目に映るすべてのものは、自分(の内面)を映す鏡です。
山本 真弓
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