【自己理解】自分らしさは理想や憧れの中にはなく、環境や時代の影響を受けない
※絵:Layers/ライセンス:DMCA/出典:Wallpaperbetter
人は、こうなると決めたものになる。
それは、間違いありません。
だから、ああしたい、こうしたい、こうなりたい、といった夢(Wish)は、自分らしさではありません。
「したい」とか、「なりたい」という理想は、誰か(何か)の影響を受けたからそう思うのであって、初めから自分の中にあったものじゃないからです。
歌手だったり、俳優だったり、映画だったり、本だったり、恩師だったり、身近にいる人だったり、外側に影響されているんですね。
だから、理想と自分らしさとは別物です。
自分らしさがわかる瞬間は「違和感」です。
つい相手に合わせてしまって、そう思っていないのに「そうよね~」と言ってしまうことはないですか?
もしそうなら、「そう思っていない自分」が、自分らしさですよ。
たとえば、「海って最高よね~」と言われたあなたは、海より川が好きだとします。
その時、「そうよね~」と言ってしまったあなたの自分らしさは、「川で○○している私」です。
この、「~している私」が、自分らしい状態なんです。
それは、24時間でも平気で、寝ることや食べることも忘れて夢中になっている状態なら、自分らしさが最高に発揮されています。
別の例えだと、「そんなこともできないの?」と言われて、嫌な気持ちを隠して「すみません」と言ったことはありませんか?
もしあるなら、相手ができないことをできる自分、相手のしたくないことが自分はしたいと思っている自分のほうが、「自分らしさ」だということです。
そして、それをしている時の自分が「自分らしさ」です。
私は歌を歌うのは苦手だから、「音痴」と言われても傷つかないんですね。
英語も話せないから「英語も話せないの?」と言われても傷つかないんです。
「そんなこともできないの?」と言われて違和感が生まれるのであれば、自分にもできることを相手が先にやっているから、心がざわつくんですね。
自分がほしいと思ってる車に乗っている人から、「車買い替えないの?」とか、「その車、年季入ってるね」とかも同じ、心が平常じゃないなら、自分が我慢しているのに相手は我慢していないことに対して心がざわつくんですね。
自分はこんなに我慢しているのに、どうしてこの人は我慢しないんだ、と。
相手は何気なく言ってるだけかもしれませんが、自分には皮肉や嫌味に聞こえてしまう、そういう心のトゲが違和感です。
でも、その違和感は、自分で解決しない限りずっと在り続けます。
昔、私の居た環境は、よくマウントを取ってくる人に囲まれていました。
究極のマウントは「儲かりもしないことやってアホちゃう?」
でも、この一言のおかげでわかったことがあるんです。
それは、私が好きでも、誰かにとっての「そんなもん」は、儲けるために好きになったんじゃないということでした。
なぜなら、もし、儲けるためなら、自分にできることで相手が喜ぶものでなければならないからです。
だからその時、相手にやっと言えたことがありました。
あなたにとっての「こんなもん」を私が好きなことで、あなたにどんな不都合があるの?
そうしたら、ダサい人がいるだけで日本の恥だと言われました。
そして、その言葉を聞いた時、自分の本音にやっと気づけたんです。
目の前がクラクラしたけど、本当の自分を受け入れました。
「こんなもん」と言われた私こそ、相手の好きなものを「こんなもんのどこがいいの?」と思っていたんですよ。
相手から吐かれる言葉は、自分が相手に言いたくても言えなかった言葉だった、というオチです。
さきほどの車の話につなげると、「車、買い替えないの?」と言われて違和感があるなら、自分が自分にそう思っているということですね。
私もそう、ダサく見られるのが恐いという本音を隠していたのは私自身でした。
ニキビを気にしている人が「ニキビ?」と言われて傷つくのも同じです。
薄毛の人が、「私、薄いんです」と言って、「ホント、薄いよね」と言われて傷つくのも同じ心理です。
本当は、「そんなことないよ~」と言ってほしいんですね。
自分が気にしている隠していることを、他人に言われたら傷つくんですね。
でも、他人は自分の心を傷つけることはできません。
なぜなら、心は見えないからです。
自分が自分に傷ついてるだけなんですね。
だから、違和感を持ってしまう人に出会うんです。
その人たちは、自分の嫌いなものをあなたにも嫌わせ、自分のやらないことをあなたにもやらせない。
それで何が実現するかというと「ほら、私の言った通りでしょ?私のほうが正しいでしょ?私のほうがいいでしょ?」という自惚れです。
つまり、承認欲求が自分にあるから、自分と比べる人に出会うんですね。
こうして自分らしさがわかるもう一つは、自分の好きなものを、誰かに嫌いと言われても好きなら、それをしている時の自分こそが「自分らしい自分」なんですね。
誰かに「こんなもん」と言われてやめるなら、それをしていた時の自分は、自分らし自分ではなかったということです。
それは、誰かの好きなものを自分の好きなものだと思い込んでいるだけです。
ほしいものと似合うものは、一致しない場合が多いですよ。
だから、「自分らしさ」は、理想や憧れの中にはありません。
ちまたで言われる「好きな人に愛されている私」も、「仕事で成功している私」も、「好きなことだけして生きる私」も、それは誰かに影響されているもう一人の理想の自分であって、「本当の自分らしさ」とは違うんです。
成りたいという理想を求めたら、当然、成っていそうな人に出会う。
そしてそれが自分の理想になる。
それが必然というものです。
幸せな人がいるんじゃなくて、幸せそうに見える人がいるだけなんで。
世界って、隣の芝生は青く見えるので。
憧れる対象が変わっても、自分らしさが変わることはありません。
理想が変わっても、自分らしさは変りません。
夢や目標が変わっても、自分らしさは変りません。
価値観が変わっても、好みが変わっても、マイブームが変わっても、自分らしさが変わることはありません。
自分らしさは、誰にも何にも影響を受けない、普遍のものです。
山本真弓