【ブランドメッセージ】 思考の放棄なくして改革なし
目次
バイアスという思い込みは満月に崩壊する
【ブランドメッセージ】 思考の放棄なくして改革なし
1.観念の正体は、洗脳という名の呪い
昔、「月は不安の象徴だから見るな」と言った "時の占い師" がいた。
だが、月を不安の象徴とするのはあるとしても、見てはいけないというのは、その占い師の観念にすぎない。
観念とはバイアスであり、バイアスとは、自分の思い込みや信じて疑わないものをいう。
「観念」は、理念、概念と合わせ、プラトンが言語化した。
いや、正確には観念自体、仏教用語だから釈迦が最初に説いたかもしれない。
卵が先か鶏が先かはさておき、観念は個人の思い込みのことであり、自分の意思の及ばない呪いにかけられた状態をいう。
観念の正体は、洗脳という名の呪いそのものだった。
その観念で自分の思考はつくられている。
私たちは、まさか自分が呪われているとは思っていないため、自力で気づきにくい厄介な思考の癖として人生を翻弄させる。
例えば、「ライバルは自分」という言葉はよく見聞きするが、これも源流(本質)まで遡れば、プラトンの言葉に行き着く。
プラトンの『自分に打ち勝つことが、もっとも偉大な勝利である』という言葉を引用する人たちを信じ込んだ結果、「ライバルは自分」という言葉ができたのだ。
その信じ込みは、実際、自分で経験して「まさにその通りだ」と腑に落ちた人と、口だけの人では生きる世界も結果も違う。
口だけの人が翻弄というジプシーの世界にいるのは言うまでもなく。
つまり、私たち個人の考え(マインド)は、最初こそ観念まみれであっても、行動に移すことで確信に変わる。
しかし、洗脳された通りの結果になるだけなので、結局、誰に洗脳されるかによって結果はやる前にわかるのだ。
自分が誰に呪われようとしているのか、一瞬でも立ち止まり考えるだけで、人生を棒に振る確率もグッと下がる。
2.観念は、視点を変えると呪いが解ける
誰を選ぶかの基準の1つに実績があるが、実績もどこを見るかによって自分の人生を変える。
何百人、何百社を成功に導いたという人から見えないのは、その何百が今どうなっているのかである。
住所から見えないのは、自宅か、自社ビルか、貸し店舗か、バーチャルオフィスかがわからないことだ。
これはグーグル先生に聞けば一発でわかる。
バーチャルオフィスでも気にしない人はいいが、気にする人は、現存しないバーチャルはやめたほうが無難である。
「無意識の信じるもの」が、そのまま実現することはみんな同じである。
そんな表面的なことを基準に選ぶより、洗脳された人や組織が何年続いているか。
そして、洗脳する人が、今もその人や組織の成功の一部に貢献しているかといった、生涯価値を見たほうが選択するときのリスク回避になる。
(顧客単価)×(粗利率)×(購買頻度)×(取引期間)-(顧客の獲得・維持コスト)
こういうのは、当人に聞かずともグーグル先生に検索して聞いたら、フェルミ推定(大まかな答え)が算出できる。
潰れそうな店でポイントカードを作らなくて済むし、潰れそうな会社に買掛されなくて済む。
私たちは、成功することや幸せになることではなく、成功し続ける、幸福でい続けることが本願ではないだろうか。
であれば、1000人だからすごいとか、銀座だからすごいとか、見えるもので選ぶのは間違いから要らぬ問題を招く。
だから、観念で作られた思考は、視点を変えると呪いが解ける。
かくいう私のこういった観念も、オードリー・ヘップバーンに洗脳され、その通り行動し、腑に落ちた結果、信念に変わったにすぎない。
その人を知りたければ、その人の友だちと付き合えばいいのよ
(オードリー・ヘップバーン)
3.月が不安の象徴と言われる理由
いよいよ本筋の山場になるが、月が不安の象徴と言われるのは、プラトンや釈迦の説いた「観念」が、見えないものからは見えないということに起因する。
逆を言えば、視認できるものはすべて観念である。
1000人も銀座も、見えるすべてのものは、自分の観念で見て、損得勘定するのだ。
その観念は本質を隠す性質がある。
つまり、本質は観念の逆で見えないところでよく見える。
プラトンは、この観念の性質を「見えるものはすべて仮の姿だ」とした。
釈迦は、「色即是空」の中で、見えるものはすべて幻想だと言った。
タワマンに住む人は、借金まみれかもしれない。
エルメスのバーキンを持つ人はサブスクかもしれない。
プラトンと釈迦の考えは、申し合わせたようで疑いたくもなるが、当時の世界は、「知の大爆発の時代」と言われた。
多くの哲学者や科学者、宗教家、芸術家、建築家らが知識を拡大し、今の私たちの思考の基を作ってくれている。
観念について私は、龍安寺の石庭からも学んだ。
龍安寺の石庭は、15ある石の1つを隠し、「足るを知る」を説いた。
また、十五夜の満月は完全、完全の次は崩壊を表す。
私は、それ以前、ミロのヴィーナスや日光東照宮からも完全と崩壊の関係を知った。
ギリシャでは、神話人気がなくなり、一斉風靡したヴィーナス像が人の記憶から消えた後、腕のない状態で発掘され再ブレイクし、今ではルーブル美術館の三大至宝として、人気に影響されない不動の地位にいる。
家康は、日光東照宮を未完成のまま完成させた理由について「満つれば欠ける」と言った。
結局、月が不安の象徴と言われるのは、観念が不足を満たそうとする渇望に正体を変えてでてくる幻想だった。
観念は、埋めても埋めても埋まらない不足を延々と求め続け、枯渇し続け、幻想を見続ける。
いつか大物になるとか、白馬に乗った王子様とか、一攫千金とか、仏教界でいう「餓鬼道」から抜け出せない人たちである。
得たものは失うことを知らずに...。
しかし、龍安寺やミロのヴィーナス、家康の視点に立つと、「不完が完を凌駕する」ということがわかる。
ここでいう凌駕(りょうが)とは、ないことがあることを超えるということである。
完璧にできた人間などいないが、いるとするなら、人の手など借りずとも自分でなんでもできるはず。
しかし、その観念で築いた孤立無援城に誰が来るのか?
私たちは、この人を一人前にしたいとか、なんとかしてやりたいと応援したくなる人を好きなるのだから、不完全であるほうが完全ということでもある。
それに有形価値はいつか新しいものに取ってかわるか、壊れる。
つまり崩壊するのは有形価値にすぎず、無形価値は、ミロのヴィーナスのように、広げてくれるファンがいる限り残り続ける。
徳川は、15代慶喜で崩壊した。
15は完全、完全の次は崩壊。
これは数字の美学であり、自然の神秘でもある。
戦国武将たちの戦略や戦術は無形価値として今も生き続けていることは、多くの成功者たちで見ることができる。
4.バイアスという思い込みは満月に崩壊する
人間はニ度死ぬ。
一度目はその肉体が滅びた時、二度目は洗脳が広がらなくなった時、世界から忘れ去られ、噂する人すらいなくなった時。
私は、プラトンとは対極のアリストテレスの「経営は芸術だ」に洗脳され、信じ込み、今日まで歩き、一定の成果を収めてきました。
また、アリストテレスや釈迦は、論理的思考を発展させた人でもあります。
私の才能は語彙力ですが、才能は鍛錬し続けなければ使い物にならないので思考力を努力しています。
論理の筋道を考える力(論理的思考)
物事を多面的に考える力(多面的思考)
物事の本質を見極める力(批判的思考)
誰でも同じ結果になるシステムを作るデザイン思考
創造性やアイディア力を養うアート思考
その中で気づいたことは、何もしなくても何かが崩壊するということです。
だから私の周りにいる成功者は、崩壊を避けるために、15ヶ月、15年、15代を待たずにプチイノベーションをされていました。
当たり前にできること×自分がいままで避けてきたこと
これが弱者が小さいまま強くなる潰れないイノベーションです。
観念は満月に崩壊するとは、比喩(例え話)にすぎません。
ですが、何をしてもしなくても、その観念で考えたこと、見たこと、やってきたこと、できない理由にしていること等は、完全や完璧を求めれば、行き止まるということです。
Windows7のサービスが終了したように、すべては次に取って代わり通用しなくなるのです。
違う言い方をすると、今まで許されていたことが許されなくなるということです。
電卓で計算する理由が、エクセルを知らないからとしましょう。
だったら覚えろよ、というのが、釈迦の言う「諸行無常」の、無常を指します。
今、そろばんを使う会社員の方はいますか?
いるとするなら、「君のそろばんが必要だ」と言われたことがありますか?
観念は、自分の常識であり、違う誰かには非常識なのです。
観念は、今まで美人でモテる人を好きになってはうまくいかなかったけど、自分だけを愛してくれる女を好きになったとき、「俺の好きなタイプは、俺のことをわかってくれる人」という信念に変わるものでもあります。
私がブランドロゴをちょっとブサイクな三日月にしたのは、隙のない美人より、あばたもえくぼのほうがモテるからです。
5.【ブランドメッセージ】 思考の放棄なくして改革なし
経験によって現実を直視した結果、自分の血肉になりました。
それは、自分の哲学、クレド、スピリットと言われるものでした。
信念
元々はひっそりと弱い者に寄り添うためにあった心理学、スピリチュアル、宗教、セラピー、占いなどに「成功系自己啓発」が粘着すると、薄っぺらい強者の理論になる。
始め方を知らなければ知識は成果を出さない。
意識が高いだけで思考が弱いなら結果は変わらない。
自己肯定感が高くても自己効力感が低いなら理想は実現しない。
自分の観念でつくられた思考の放棄なくして改革なし
山本真弓