【戦略】何が人生を狂わせるのか?
※画像:モントリオール・ノートルダム大聖堂/ライセンス:DMCA/出典:Wallpaperbetter
火事に遭った時、何を1番に持ち出すかにおいて、通帳や現金と言った人の事業は結局潰れ、顧客名簿と言った人は繁栄した史実があります。
「仏心で商売はできない」と言うように、確かに仏教でビジネスはできません。
でも、同じ条件下で明暗が分かれる理由は、仏教的論理で説明がつきます。
本来「経営」とは、自分の一生をどう生きるかという『経』と、どう行動するかという『営』の仏教用語から生まれた言葉です。
マーケティングと仏教も、求めるものが『儲け』か『浄土』かの違いこそあれ、行動する過程はほぼ同じで、かつ、両者は科学的根拠に基づく論理が常にあります。
自分を活かす「仏教」というのは、見えないものを信仰することでも、信仰するから幸せになるものでもなく、先見の明や選択眼、直感力、洞察力、人間性など、どんな状況でも生き抜く「見えないスキル」を得る手段なのです。
これらを身につけた者は、通帳や現金と答えた人たちの潰れた理由が「顧客名簿の有無じゃない」ということがどういうことかを理解し、説明できるのです。
それが人間と猿の違いだからこそ、私たちは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、天人ではなく、人間界で人間として生きることができるのです。
なのに、なぜ、人間以下の世界に落ちる者がいるのか?
なぜ、人間を通り越して天上に行きたがる者がいるのか?
なぜ、彼らは火事の時、通帳と現金を1番に持ち出すのか?
間違った動機で正しいことをやっている自分に気づけないからです。
人はどん底まで行かないと人の声に耳を貸せないのです。
我慢できるうちは我慢するからです。
自分の考え以外で幸せになってはいけないと信じているのです。
でも、焼け野原で現金は価値がありません。
一人勝ちに価値はありません。
底まで落ちてやっとそのことに気づけるのです。
世界一美味しいカレーに必要なものは、最高級の素材でも水でもなく、食べてくれる存在だと理解できるのです。
1泊100万のスイートルームでも、川のせせらぎが最高のキャンプでも、携帯を見てしまう者の幸福度が低い理由も理解できます。
欠乏欲求を満たす「情弱」が、間違った動機にさせてしまうとわかるのです。
本来、マーケティングも経営も仏教も、人間を人間たらしめるためにあります。
「顧客のほしいものを売るな、必要なものを売れ」
そう言った松下幸之助の真意がここにあります。
理屈や数字だけで乗り切れるものではないことが肌身に染みて、はじめて人は仏教(宗教)が身近になります。
山本真弓