top of page
コミックブックリーダー

それで?

人生はあとから線になる~遠回りに見えた道も~

  • 執筆者の写真: 山本 真弓
    山本 真弓
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:12 時間前



海外のブログを読んでいると、「Calling(コーリング)」という言葉にしばしば出会う。


辞書を引けば、「天職」、「使命」、「強い衝動」...などと説明されている。


しかし、どれも少し違う気がする。



マンハッタンヘンジ
その瞬間、そこでしか見られないもの・マンハッタンヘンジ



人生はあとから線になる


たとえば、「ある人がCallingに導かれてその仕事を始め、それを人生の使命として成し遂げた」と語るとき、「天職」と置き換えても、「夢」と言い換えても、どこか本来の響きが失われてしまう。



私にとってCallingとは、その人の資質や経験、価値観が長い時間をかけて結晶化し、「これをやらずにはいられない」という形になったものだ。



単なる好き嫌いや一時的な情熱ではない。



人生のなかで何度も顔を出し、無視しようとしても消えず、最後にはその人をある方向へ導いていく力である。



そんなことを改めて考えたのは、ビジネスライターの Geoffrey James 氏が、自身のCallingについて語った記事だった。



「How to Do What You Love for a Living」


直訳すると、『好きなことを仕事にする方法』


タイトルこそ、ありきたりという手垢ことついているが、コンテンツが洗練されていた。



彼は4歳で最初の物語を書き、8歳で恐竜の新聞を作り、14歳になる頃には自分の考えを書いた新聞を発行していた。




大学時代には短編小説を出版社に売り、小説も書き始めた。



つまり、子どもの頃から一貫して「書く人」だった。



ところが、彼はライターへの道を選ばなかった。



いや、正確には、選べなかったのかもしれない。



将来への不安があった。



安定した収入を失うことが怖かった。



彼は大企業に入り、プログラミングやマーケティングの仕事で成果を上げた。



十分な報酬を得て、世間的には成功者と呼ばれる立場になった。



だが、心のどこかに違和感が残り続けていた。



ある日、彼は「理想的な仕事の一日」を書き出してみた。



そこに描かれた一日は、現実の自分が送っている毎日とは驚くほど違っていた。



その瞬間、彼は悟る。



「やはり自分は書く人間なのだ」と。



しかし、気づくことと行動することは別だ。



彼はすぐには会社を辞めなかった。



2年という時間をかけて準備をした。



貯金をし、有給休暇をため、独立の日に備えた。



そして転機が訪れる。



有名なライフコーチ、Tony Robbins 氏の話を聴いたたときのことだ。



彼は、人生の優先順位を書き換えた。



それまで一番上に置いていた「安全」を外し、その場所に「勇気」を置いたのである。



翌週、彼は会社を辞めた。



フルタイムのライターとして生きる道を選んだのだ。



独立1年目の収入はわずかだった。



それでも彼は書くことをやめなかった。



そして数年後、収入は会社員時代を超えた。



だが、彼が本当に手にしたものは、お金だけではなかった。



「あなたの文章に勇気づけられた」



「あなたの言葉のおかげで行動できた」



そんな読者からの声だった。



それこそが、彼にとって何よりの報酬だったのである。



そして彼は振り返る。



ライターになるまでに20年かかった。



しかし、その20年は決して無駄ではなかった、と。



ビジネスの現場で学んだ継続の重要性。



人と働くなかで経験したトラブル。



成功も失敗も、迷いも苦しみも。



そのすべてが、人生の材料になっている。



遠回りだったからこそ書けることがある。



別の道を歩いたからこそ届く人がいる。



この言葉が、私の胸に深く刺さった。



まさに、人生はあとから線になるのだ。



強い雨の道路で傘を差す男
誰かが引いたレールより、自分の足跡をなぞるほうが未来は約束される。


なぜなら、私自身もまた、「書くこと」がCallingなのかもしれないと思えるまでに、15年近く別の道を歩いてきたからだ。



振り返れば、回り道に見える時間がたくさんある。



だが今は、それらを単純に無駄だったとは思えない。



仕事で人とぶつかり、協力し、失敗し、やり直した経験。



ご縁があって関わることになったソーシャルビジネスの世界。



仲間たちと知恵を絞りながら何かを創り上げる喜び。



そうしたものが、知らず知らずのうちに、私の言葉のなかに溶け込んでいるように思う。



15年という歳月にも、きっと意味があったと言えるだろう。



もっとも、私の場合は少し事情が違う。



「書くこと」だけがCallingなのかと問われると、どうもそうではない気がする。



ビジネスの現場で仲間たちと議論し、知恵を出し合うことも好きだ。



しかし、感情をゆさぶる創作活動そのものが、実は好きだったりする。



どうやら私には、1つではなく、いくつものCallingがあるらしい。





人生は、たった一本の道ではないのかもしれない。



見えない声に導かれながら、人は少しずつ自分らしい場所へと近づいていくのだと思う。



だから、もし今あなたが「本当にやりたいこと」と違う場所にいるとしても、その時間を無駄だと思わないでほしい。



将来のあなたが誰かの役に立つとき、その経験が思いがけない形で生きてくるはずだ。



遠回りに見える道が、後になって一本の線につながることは、確かにある。





さて、あなたのCallingは何だろう。



もしかすると、まだ見つかっていないかもしれない。



あるいは、気づいているのに、勇気が出ないだけかもしれない。



けれど、その声は消えない。



人生のどこかで、何度でもあなたを呼び続ける。



だから焦る必要はない。



遠回りに見える今日もまた、その呼び声へ続く道なのだから。





PS1:


いつの日か、これを読んでくれたあなたと、お互いのCallingについて語り合いながら杯を交わせたなら。



それはきっと、とても幸せな時間になるに違いない。




PS2:


それで?


それで経験が多いほうが、経済的にも精神的にも時間的にも幸福感は上がることがわかった。


しかし、Callingがいくつもあると、これにはあれ、あれにはそれ、とやり方ばかり増え、忙しいだけで幸福感を感じる余裕さえなかった。


ということは、やはり、1人の自分が何個もCallingを持っているのではなく、何人かの自分がそれぞれ1つのCallingを持っているのでは?と思うようになった。


そして、どうやら3人の自分がいるらしいということが統計でわかった。


そのバラバラの3人をひとつにまとめることだけを学ぶために、他の学びをすべてやめた。


学び始めて半年後、3人の自分がひとつになったとき、Callingも1つになった。



次に私は、ここまでのプロセスを体系化することに夢中になった。


3人の自分が同じものに夢中になっていることが、Callingそのものだと腑に落ちた。



そして10数年前、「努力しても報われない本当の自分を知るセルフブランディング」が完成した。


それは、今も換えたり、取り替えたりしなくていい、リスキリングもいらない普遍性の高いものだった。


私は、小説より、こういった備忘録から生まれたレシピをつくるのが心底好きだとわかった。



あなたにも3人の自分がいる。


三位一体になったとき、あなたのやってきたことは間違いではなく、まとまっていなかっただけだとわかると思う。







コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
bottom of page