【手段の目的化】その頑張りが認められないのは、正しいことを間違った動機でやっているからかもしれない
11月18日、今年もまた、未明から明け方にかけて、1時間に3個くらい、流れ星が見えます。
午前2時ごろから明るくなるまでが最高と言われます。
その流れ星は、しし座流星群。
流れ星が見えなくなる前に、願いを3回唱えると叶うという、作り話は、みんな知っているのだけど、何を言いたいのかを知る人はとても少ない。
いつでも、すぐに、一言で、3秒以内に、ビジョンを言えるようにしておかないと、目の前に、流れ星(チャンス)が突然あらわれても、間に合わない。
作り話を作り話として解釈する人と、なんでこんな作り話を作ったんだろう?と好奇心を持つ人は、その時点で、成否は見えているんだな。
出会えないのは、自分が相手を見ていないか、相手が自分に気づいていないかしかない
目の前にある問題とは、言い方を変えれば、本来、叶えたいことのためにやっていた手段が、叶えたい本願そのものにすり替わっているということです。
解決すべき問題とは、「本当に叶えたいことがわかっていない」ということです。
数年前、結婚相手が見つからない悩みをもった女性がいました。
本来、結婚とは、幸せのための手段です。
が、この人は、年齢的に子供をつくる限界が来てるから結婚したい、と言ってました。
これがまず1つ目の、目的と手段のすり替え。
次に、「相手がいない」ことに焦点を絞ると、相手が見つからないのは、自分が相手を見ていないか、相手が自分に気づいていないかのどちらかしかないんです。
これって、経営戦略のセグメンテーションや、ターゲティングそのものですね。
何でもそうですが、まず、戦略ありき。
だから、理想の相手が婚活アプリに登録してるなら、そのアプリを特定するために、セグメンテーション(属性の分類)をします。
そして、どんな人が登録しているアプリなのかを調べたら、医者が多い、会社員が多い、若い人が多い、シニアが多い、バツイチが多いという、ある特徴が見えてきます。
って・・・おかしくないですか?
おかしいですよね?
理想の相手が婚活アプリに登録してるって、どうしてわかるの?
わかるわけないですよね?
自分が婚活アプリを使うから、理想の人も同じアプリを使う前提でいる自分に気づいていないのです。
ここが仏教の言う、相手のことを考えない「慢=うぬぼれ」なんです。
さっきの人の場合、アプリをしても出会えないというので、新婚旅行はどこに行きたい?って聞いてみたんです。
そしたら、ハワイって。
遠出するデートならどこに行きたいって聞いたら、「遠出は・・・」と言葉を濁しました。
どんなデートがしたい?って聞いたら、インドアか、近場ばかり選ぶのです。
私みたいなオタクなら、家が好きだからという理由があるはずなんだけど、その私でも、沖縄、鹿児島、九州、北海道も海外も行きたいので、更に聞いてみました。
そしたら、乗り物酔いするから、飛行機も車も電車も苦手と言われました。
この人の「相手が見つからない理由」は、好きな人ができたら、乗り物を必要とするから、という恐さがありました。
「好きな人がほしいと願いながら、私に乗り物が必要になる好きな人はいらない」という、アクセルとブレーキを両方踏んでいる、二律背反に陥っていたわけです。
当然、自分の近場にいる相手に限定されてきますよね?
だったら、全国アプリ使っても見つからないのは当然ですよね?
◯市限定だったらいいわけだけど、世界中、星の数ほどいる人を選び放題なのに、◯市限定って、むちゃくちゃ波乱の人生を覚悟しないといけなくなる。
仕事や生まれ、住んでるところで人を選ぶと失敗するリスクは最高に高くなるから。
まず、人、その次に、その人がどこに住んでいるかじゃなくて、一緒にどこに住みたいか?
何より、乗り物酔いは治るので、治せばいいのにと私は思ったけど、頭痛とか体質的な不調というのは、何かをやらなくていい言い訳になっているのが定説です。
東洋医学で言う、陰陽五行説、表裏一体説ですね。
頭が痛かったら肩こりを治せばいいとか、それと同じで、逃げている何かをやれば乗り物酔いは消えるという方法論です。
問題は、正しいことを間違った動機でやっている手段の目的化に気づけないこと
さて、それ以上に問題なのは、最初に言った、目的と手段のすり替え。
私、その子に厳しいことを言ってしまったんです。
子供がほしいから結婚するなら、理想の男性は、自分の理想(出産)を叶える手段になる。
好きな人を自分の理想を実現する手段にしたら、自分と同じ目的を持った相手と出会うルールから言えば、当然、相手の理想を叶える手段にされるのは、自分自身です。
あなたの理想を叶えるための手段だった相手は、あなたを自分の理想を叶える手段にする問題が起きて、その結果、子供が生まれたら別れるよ、って。
正しいことを間違った動機でやっていることに気づけない「手段の目的化」が起きると、やったことはザルにしかならないのです。
手段の目的化に気づきにくいのは、無意識にしているからです。
子供を生むことが人生の目的になったら、子供を生んだら幸せは終わるんです。
その終わる原因が、自分が手段にした相手に手段にされることなんだよ。
こういうのを「ミイラ取りがミイラになる」って言います。
そのことで私は、その子を怒らせてしまって、嫌われてしまいました。
東大に入ることが目的になったら、東大を卒業したら目的は達成したことになるので、目的を失うという、それと同じなんです。
東大出て、医者になって、誰よりも多く人の命を救える人間になる、というビジョンがあれば、東大出ても、出なくても、違う大学でも、死ぬまで、人命救助というビジョンを追い続けることができます。
だから、MY WAYを見失わないのです。
風のうわさで、その子は、地域限定の集まりで結婚相手が見つかって、子供ができた後、相手の手段にされたことが原因で、半年くらいして離婚したと聞きました。
私、みなさんに声を大にして言いたいのは、
人を一番に選んでほしいのです。
その人がどこにいようがどうでもいいから、一緒にどこに行きたいかを考えて。
今日と同じことが明日もあると思わないで。
「どう生きたいか」を、考えて。
「どう生きるか」を、決める。
その「どう生きるか」が、人生戦術なのです。
人生戦術は、ビジネスで「経営戦略」に置換されます。
本やネットの情報が誰かを救えても、文字は人の頭の中にある経験や情報に置換して判断され、フィードバックの機会を失います。
糺すべき解釈が何かを知らずにやり進めるのであれば、どのように自分の能力を引き上げ、有効に展開していくのかがわからないままなのです。
その状態では今後どんな知識を得ても、読み物としての機能しかありません。
手に入らないと諦めているものを思い描くことで何かをしのぐことと、手に入れたいものを明確にするための想像は結果が大きく違います。
結局、ないからほしいと望むものは、本当は望んでいないただの「空想」です。
空想を星に願っても、本当に実現したいことを知らずに頑張っても、結果は変わらないのです。
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